和白丘にある「リンサーラ」つのうえりなです♪

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11/3 子どもの行事から帰ってきた頃

電話が鳴った。

 

最愛の人が今、息を引きとろうとしている。

と・・・

30分後の2回目の電話の時には

息を引き取った

と・・・

 

あまりにも突然で、愕然とした。

子ども達も一緒に泣いた。

主人が帰ってきて、普通の様子でないことはすぐに察した。

 

そこから準備をして

宮崎へ

 

主人も子ども達も翌日はお休みし

私の仕事も丁重にお断りしました。

 

私たちが引っ越してからは

両親がとても親しく自分たちの子どものように接していたので

相当ショックのようでした。

 

私も悲しいのですが

両親の悲しみや寂しさを思うとまたその方がつらいですね。

 

お葬式に出席して

とんぼ返りでしたが

両親の寂しさは、日々増すと思います。

 

いつもの場面、いつもの時間

笑いあって、語り合って、ぬくもりを感じていた相手がいなくなるという

喪失感

 

生を受けた以上、いつか別れがくるとは知っていても

いざ、その時がきたら

「どうして、あのとき・・・」

「生きている間に・・・」

「できたことがもっとあったはず・・・」

「死んでしまうとわかっていたら・・・」

両親は、そんな思いがあふれてきて

どうしても「後悔」の気持ちは消えないようです。

 

でも

亡くなった人が思うことは

「愛する人たちが悲しんでいることが一番つらい」

ときいたことがあります。

 

すぐには、癒えるものではありませんが

私にとっては、弟たちと思い出話に花を添えることが一番いいようです。

 

彼女が教えてくれたのは

当たり前のようにみえる日常は、当たり前じゃないんだよ

大切な人を大切にしようね

 

ということかもしれません。

姿形はなくなっても、ずっと私たちの中で生き続けています。

ありがとう!

いっぱいありがとう!1365823883279

 

こうやって書くとこで少しずつ

こころの整理をさせていただいてます。